写真の儀式
2012年度前期1回目のアセンブリーアワー講演会が開催されました。
志賀理江子さん(写真家)による「いまださめぬ─ 写真の儀式」。
志賀さんは、ロンドン大学チェルシーカレッジ・オブ・アートを卒業後、
ロンドン、ベルリンで活動を続け、2008年には木村伊兵衛写真賞を
受賞するなど、いま最も注目されている写真家です。
講演は、志賀さんが暮らす宮城県の北釜という集落での体験を通して、
志賀さんが考え、感じた写真とイメージの関係、写真の時間性などに
ついて語られました。
美しい松林と海に魅せられて志賀さんが住みはじめた北釜。
美しい土地に出会って、そこに住み始めるなんて物語のようですが、
実際、とても幻想的な風景で、写真のイメージの世界に入りこんだ
みたいだったそうです。
北釜の記録を撮る町内カメラマンとして暮らし始めた志賀さんは、
あるおばあちゃんから遺影の撮影を頼まれたことがありました。
撮影の際、おばあちゃんの視線に「自分はイメージになる」という
強い意志を感じ、衝撃を受けたという志賀さん。
その視線から、「写真が時間に抵抗する」ということ、つまり、
写真が過去や現在、未来といった時間軸から開放される
儀式であると考えるようになりました。
また北釜の人たちの豊かさを物語るエピソードも。
志賀さんが一見不可解な写真を撮っていても、だれ一人
「なぜそんなことをしているのか」と訊ねませんでした。
むしろ「どうやったらそれが実現でいるのか」と考えてくれたり、
「今度はどんなものを撮るの?」と訊ねてきたり。
「なぜ?」という感覚を寄せつけない力をもつ北釜の人たち。
志賀さんは、それを“なぜ以前のポテンシャル”と表現し、
それはとても自由なことだと感じているそう。
東日本大震災によって、北釜も津波による大きな被害を受けました。
震災後、志賀さんは瓦礫の中から津波で流出した写真を拾い集め、
それを洗浄し、集会所に展示して、持ち主や親族に返却するという
活動を続けています。
すべてが流され埋もれてしまっても、紙である写真は水面に浮かび、
その白さゆえに瓦礫の中でもその存在を主張します。
写真そのものの存在の強さを感じると同時に、人間にとっての
写真というものの存在を考えるきっかけにもなっているそうです。
志賀さんにとって、この活動も写真の儀式なのかもしれません。
かつて魅せられた北釜の松林は、幻想やファンタジーではなく
社会そのものであった、という志賀さん。
失われたその風景は、北釜の深い懐に飛び込んだ志賀さんの
心の中に抱えられることになりました。
寄せる波のように紡ぎ出だされた、現実の物語。
その最後の言葉は、
「果たして、わたしは写真に招かれたのでしょうか」
何かに「招かれた」と信じることの強さ、
そして、生きていることの強さを理解したような講演でした。

