ナチュラル・ストーリーズ
先日行われた、芸術学部メディア造形学科の客員教授 、
写真家の畠山直哉さんの講演会。
昨年に東京都写真美術館で開催され、いまアムステルダムに巡回中の
個展「Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ」の話を中心に、
畠山さんの自然観や、写真の力学に関する持論などをお話しいただきました。
石灰や石炭など鉱物資源を精製する工場や採掘現場、その跡地を
捉えた作品を発表されています。壮大で圧倒的な自然と関わりな
がら生きる人間の営みや歴史を、静謐で美しい風景として写し
出してきた畠山さん。
「自然」と聞くと、海や山といった美しい風景を想像しますが、
畠山さんの作品に写る採掘現場のように、人間が手をかけて変形
させた地形などを見ると、より強く自然を意識してしまいます。
畠山さんは東日本大震災で津波の被害にあった陸前高田市の出身。
津波によって畠山さんの実家は流され、母親を亡くされました。
個展では、震災後に畠山さんが撮影した陸前高田の写真とあわせて、
震災以前、帰郷するたびに撮影していたという、今は失われてしまった
かつての町の風景がスライドショーとして映し出されました。
震災以前の写真には、畠山さんの実家の前を流れる気仙川の水面や
祭りに参加する人々、そしてお母親の姿が、静かな情景として捉えられ
ており、こんなに美しい風景が自然の力によって失われてしまったことを
どう理解してよいのかと深く考えさせられます。
「震災は納得できるものではないけど、自然とは人間のもつ意識や思考、
社会を超えて現象する出来事です」
私たちが自然を意識するという意味では、被災地の写真は
その極みにある風景を写していると言えるのかもしれません。
個人的な歴史を背景にもつ畠山さんが撮影した写真と、いわゆる
報道写真を評価あるいは比較することの困難さや、
震災以前の風景を写した写真のように、写真がある出来事によって
まったく別の意味を持ち始めるという、写真と出来事の関係性に
ついて言及された写真論が興味深かったです。
震災以後、さまざまな人によってアートや表現の可能性について
語られていますが、表現者が乗り越えなければいけない、新たな
境地に立たされていることを実感する講演でした。

