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2014.10
29
16:59

快進撃の才能のウラ側(大根仁さん_アセンブリアワー講演会)

『モテキ』『まほろ駅前番外地』『リバース エッジ大川端探偵社』……深夜ドラマで話題作を次々と手がけ、“深夜ドラマ番長”と称される大根仁さん。演出・脚本を担ったドラマ『モテキ』は、公開年の流行語大賞にもノミネートされ、世間の話題をさらいました。サブカル好きの心をくすぐる絶妙なキャスティングやBGMのセレクト、それでいて、きっちりと大衆の心をつかむことができる希有な映像プロデューサー。今では深夜ドラマの枠を超えて映画界にも風穴を開ける。その快進撃のウラ側にある才能とはなんでしょう?

自身の銀幕デビューを飾った映画『モテキ』は、興行的にも成功をおさめ、第35回日本アカデミー賞話題賞・作品部門を受賞。続く『恋の渦』はインディーズ映画でのスタートでしたが全国で拡大上映されるほどの人気を博し、2015年には累計1500万部超の大ヒットマンガが原作の『バクマン。』公開が控えています。

期待の若手映画監督と呼びたいところですが、「映画監督・大根仁」にはしっくりこないといいます。「まだ、数を撮っていないし、なにより映画監督と名乗るのは偉そうで恥ずかしい」。そのため、肩書きは「演出家・映像ディレクター」。活動のフィールドは幅広く、映画やテレビドラマに限らず、ミュージックビデオや舞台の演出、雑誌のコラム執筆、イベント主催など多岐にわたります。「映画監督」という職業では大根さんのマルチな才能を語り切れないのも事実です。

生まれは、昭和43年の東京。物心がつくころ、ブラウン管の向こう側は黄金期を迎えていました。「テレビがものすごく自由にいろんなものを表現していた時代。歌番組、バラエティ、アニメ、いろんなジャンルのものが生まれていた。幼心にテレビの仕事に漠然と憧れたんです。中高生のときはサブカル少年で、ありとあらゆる表現物が好きになりました。映像の仕事、しかも一生現場にいられる制作業に就こうと考えたんです」。高校卒業後に映像系の専門学校の門を叩きますが、当時は「ひねくれた性格」だったそうで、仲間と作品づくりに打ち込むことはなかったとか。

転機が訪れるのは、専門学校の卒業間際。あるプロモーションビデオのコンテストに出品した際、大根さんの作品に目を留めたのが、のちに師となる堤幸彦監督でした。賞の特典として当時堤監督が住んでいたニューヨークの家に居候する機会を得て、その縁で「拾ってもらった」のだそうです。

「いかにもシンデレラストーリーでしょう」と聴衆の笑いを誘いつつも、その後のアシスタント時代は過酷を極めたといいます。「当時は、殴る蹴るは当たり前。月3万の低賃金で、今でいうブラック企業っていうレベルじゃなかったですよ。それでも、映像作品に携われる楽しさが勝り、『こいつは逃げない』と認めてもらえるようになったんです」と苦心した時代を懐かしむように振り返ります。「クリエイターにとってもっとも大切なものは、精神的なタフさ。センスは2割もいらないんじゃないかな」。

アシスタントという下積み時代を経て、ディレクターの仕事へと比重が変わってきたのは30歳を過ぎてから。堤監督の下で『金田一少年の事件簿』『サイコメトラーEIJI』といったゴールデンタイムに放送されたドラマから『TRICK』などの話題作まで、多くの名作を手伝いながら、そのおこぼれ仕事をこなしていたといいます。「それなりに稼いでいたころ。食べてはいけたが、正直、自分でピンとくるようなものがつくれていたかというと、そうではなかったんです」。

ある時、ゴールデンタイムに近い時間帯で注目度の高いドラマの演出を任されます。せっかくのチャンスでしたが、本人によれば「本当に落ち込むぐらいデキが悪かった」。なにがダメだったのかを考え尽くし「自分みたいなタイプは、演出だけではなく、キャスト、脚本にもしっかり携わる方がいい」という結論に至ります。決して潤沢な予算はないが、その分自由度のある深夜ドラマに戻る決心をするのです。

そして、手がけたのがターニングポイントとなる『演技者。』でした。松尾スズキ、宮沢章夫、KERAなど、尊敬する作家の小演劇作品を、ジャニーズJr.の役者を使ってドラマ化するという番組。総合演出を担い、戯曲やキャストの選定、それに脚本まで自分で書くスタンスが、自身のプロデューサー的な視点と噛み合いました。「光の当たらない下北沢の小さな劇場に何度も足を運んで、若手役者の発掘や新しい才能をがむしゃらに探したんですよ。テレビやジャニーズJr.という超メジャーなものと、世間的には知られていない小劇場演劇のインディーズカルチャーを掛け合わせる。これが自分の役割だと気づいたんです」。

メジャーとインディーズの狭間をつなぐ架け橋のような立場。そのスタンスが、後の仕事につながります。

脚本をつとめた『30minutes』では、おぎやはぎ、バナナマンや荒川良々など当時ほとんど無名の若手芸人を起用。石田衣良原作の『アキハバラ@DEEP』では、アイドルブームの兆しが見えてきた秋葉原を舞台に、風間俊介や生田斗真など“役者専業”で開花するジャニーズ俳優を開拓。その後、ブレイク前から注目していた真木よう子を主演に『週刊真木よう子』の総合監督も担います。

“深夜ドラマ番長”の快進撃。その原動力について大根さんは、謙虚に答えてくれました。

「オリジナリティや才能って、今でもあるとは思ってないんです。ただ、人よりいろんなものに触れて、たくさんのことを知っていた。アーカイブが多かったんですね。自分の場合は、それが昔から好きだったサブカルだったんです」

そして、話はヒット作『モテキ』へと続きます。低予算の深夜ドラマで休みなく走り続けてきた反動もあり、「1つの作品にじっくり時間をかけてつくりたい」と思っていた矢先、マンガ『モテキ』のドラマ化の話が舞い込んできました。

この作品では、大根さん自身が撮影(カメラマン)も務めました。しかも、デジタル一眼レフカメラのムービー機能を使用した常識外れの撮影手法。話題をさらう、そのマルチな才能や、テクニックについても話は及びました。

「ドラマ『モテキ』には、たくさんの女優さんが出てきます。彼女たちをいかにきれいに撮るかが重要でした。けど正直に言うと、面と向かって話すのも緊張するし、演技指導にも抵抗があったんです。女優さんが苦手で(笑)。だからこそ、正面から向き合ってみようと、自分で撮影することにしたんです」

使用されたカメラは、市販されている安価なもので「学生でも手が届くレベルかそれ以下のもの」だったといいます。「女優の自然な表情が撮りたかったんですよ。撮られていることさえ気づかないような、コンパクトなデジイチがちょうどよかった。それに予算の問題もあったんですが」。

「一人の監督やディレクターが表現できる世界の種類ってそんなにないと思っているんです。自分自身も、過去の作品とどうしても似通ってしまう。だから、新しい仕事をするときは、今までしてこなったことを、内容ではなくテクニック的なことでもいいから、必ずひとつ取り入れています。たとえば、使ったことのない機材やレンズ、起用したことのないカメラマン、使用したことのない編集ソフト、あるいは自分で撮ってみるとか」

第一線で活躍する大根さんの言葉に、非凡な“才能”のヒントをつい探してしまいますが、その実はとてもシンプルなものなのかも知れません。センスやオリジナリティという言葉に惑わされず、コツコツと視野を広げて、惜しみなくその知識を活かす。ともすれば自慢話になりかねないサクセスストーリーを、ときにお構いなしに実直に話す大根さんのスタンスに、“快進撃の才能”がにじみ出ていたように思います。

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