東北からの風に乗って

Date_ 2013.10.30 17:28

木野祭が近づいてきました。
大学祭といえば屋台やイベントが目白押しでハッピーなお祭ですが
一方で、日頃の学びの成果を示してメッセージを投げかけるという側面もあります。

今年の木野祭のなかで、「東北からの風」と題して
震災被災地について考えるイベントが開催されます。
人文学部の板倉先生のゼミ生が中心となって、
震災に関する講演会や被災地で収穫された野菜の販売会を企画しました。

企画メンバーの一人、佐久川さん(人文3年、写真左)は去年、
チェルノブイリ事故の12年後を取材したドキュメンタリー映画『プリピャチ』を見て
その虚無感の強いモノクロームな世界観にショックを受けました。
「日本も白黒になっちゃうのかなぁって思ったら、悲しくなって。
 …でも、そんな「かわいそうな私」にだんだん疲れちゃったんです。
 そしたら、何か行動を起こせないかなぁって思うようになってきました。」
そして昨年から開始した原子力についての自主的ゼミや、
この「東北からの風」に参加するようになったそうです。

今回のイベントを通じて投げかけたいメッセージは、
「原子力の時代に生きる一人ひとりが何かを考えてほしい」ということ。
佐久川さんはこう言います。
「どうするべきか、なにができるか、そういうことを考えながら
 一人ひとりの「なんでだろう?なんでだろう?」が集まれば
 社会の流れも変わると思います。」

今回の講演会では、様々な立場のかたが登壇することになっています。
避難を決断した自治体の関係者、原子力に詳しい研究者、
そして被災地を訪ねたセイカの学生たち…
多くの視点から東北のことを考えることで
新しい発想を生み出すことができるかもしれません。

福島第一原発から京都精華大学まで直線距離で約540km。
その距離を超えて「東北からの風」が吹きつけます。
この風にのって、私たちはどこへ行くべきなのでしょうか。
行くべき道筋を思い描く想像力を膨らませるために
新しい視点を見つけていく努力と行動が
今後の日本の未来に不可欠なのではないかと思います。

習慣は第二の天性(ギャラリーフロール展覧会)

Date_ 2013.10.29 19:58

ギャラリーフロールで本日最終日を迎える展覧会がありました。
立体造形コース4年生のイノコくん・佐野さんと、同じく3年生の
おざわさんによる「習慣は第二の天性 Habit is second nature.」。 

↑左から佐野さん、おざわさん、イノコくん。

お客さんが見やすいテーマにしよう、ということで
だれにでも身近な「習慣」をテーマに据えたんだそう。

佐野さんの映像作品「進むこと」は、
家を出てから学校に着くまで、
そしてまた帰るまでを20分であらわしたもの。
撮影にはiPhoneを使ったそうで、その縦長で見る映像が新鮮でした。
偶然にも、前を歩く人の姿がすっぽりフレームに収まったり、
電車のドアとフレームがぴったり重なるのがおもしろい作品。


イノコくんの花束をつるした作品「家族へ」(↑写真)は
写真には写っていませんが「花束のためのドローイング」と題された作品と
対になるよう展示されています。
空想を描いたドローイングと、具現化した作品、その間に人が立つ。
3つそれぞれの関係性を意識したという構成に、
展示方法について試行錯誤したあとが感じられました。


おざわさんは習慣について考えた時に
自分は心地の良いものにひかれることに気づき、
立ちっぱなしのギャラリーでゆっくりできる空間をつくりました。
その名も「どうぞ、お座りください」。
人工芝と書かれたたくさんのダンボール箱がたくさん並びます。
同じモチーフが整然と並ぶと無機質な印象すら受けますが、この作品は
制作意図を聞いているからか、自然とほっこりした気持ちに。

ほかにも、実家がお寺で、線香や拝む行為が身近な佐野さんは
それらを素材やモチーフにして作品をつくり、
アイデアそのものを考えることが習慣だというイノコくんは
ドローイング作品3つも出したりと、
それぞれの習慣があちらこちらに垣間見えました。

わたしの習慣を他人に見せるなら、
どんなふうに見せることができるだろう・・・
そんな想像がわいてくる展覧会でした。

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養老孟司さんが語る「動くことと考えること」

Date_ 2013.10.28 20:53

「バカの壁」などの著書で知られる解剖学者・養老孟司さんの講演会が
先週開催されました。


対談者は人文学部のウスビ・サコ先生
木野通信の対談がきっかけで今回の講演会が実現しました。
ちなみに、養老さんは京都国際マンガミュージアムの館長でもあり、
セイカとはつながりの深い方なのです。

講演会のテーマは「動くことと考えること」。
セイカの人文学部の学び方を軸に、養老さんの経験を交えながら、
学問とは何か、教養とは何かについてお話しいただきました。


「解剖とは人体を言葉に置き換えることなんです。」と、冒頭から引き込まれる話。
かつてばらばらに呼ばれていた身体の部位の名称が解剖学によって統一された、
つまり、人体というわけのわからなかったものが言語化されて共有されたということ。
人間とそれを取り巻く世界を言語化していくのは人文学部も同じです。

養老さんが大学で解剖を学びはじめたとき、死体を扱うことから
いったい何を学んだらいいのか、わからなかったそうです。
でも、わからないからこそ、学びながらいろんなことを考える。
自分にとって死んだ人がどういう存在であるのか。
なぜ日本とほかの国で死んだ人の扱い方が異なるのか。
死んだ人と生きている人の表情の違いについて考えることで、
ふだん自分が人とどのように接しているのかに気づいたり。
そうやって、どんどん思考の世界が広がっていったことが、
楽しそうにエピソードを話す養老さんから伝わってきました。

いま大学で学んでいる学生への言葉として
「自分にとって知らないことを見つけることが“発見”なんです。
だから嬉しくなる。他人が知っていようがいまいが関係ない。
僕が続けている虫採りだってそうです。
行ってみないと何が採れるかわからない。
“一歩出る”ということ。それが勇気を出すということ」とも。

特別な人間でなくていい。特別な発見でなくていい。
一歩外に出ること、動くことによって発見がある。

セイカの人文学部が大切にしている“行動して考える”
その身体的な学び方をわかりやすく話していただけました。
こんなに楽しそうに話されると、一歩出てみようかと、
学びたい欲求がうずうずしてきた人も多かったんじゃないかな。
“背中を押す”とはこういうことだと感心しきりでした。

しかおのつぶやき