seika∞sekai – 京都精華大学ブログ -

RSS

2014.09
05
11:22

キング・オブ・ステージの美学(ライムスターさん_アセンブリーアワー講演会)

日本にまだヒップホップシーンがなかった時代から活動を始め、今年で結成 25周年を迎えるライムスターは、日本を代表するヒップホップグループだ。講演では、結成当時は世間の評価が厳しく、まさしく逆境の中で、自分たちの信じる音楽を続けてきたエピソードや、20歳当時の思い、活動のターニングポイントなど、ユーモアをたっぷり交えて包み隠さず語ってくれた。Mummy-Dさんの「キング・オブ・ステージの美学って、サービス精神じゃないかな」という言葉が証明するように、会場は一体感と笑いに包まれていた。

(ライムスター:右から 宇多丸(うたまる)さん、DJ JIN(ディージェイ・ジン)さん、Mummy-D(マミー・ディー)さん。キング・オブ・ステージとはライムスターの別名であり、ライブツアー名でもある)

1980年代中頃、メンバーがまだ高校生だった頃、アメリカのラップをヒントに作られたという、吉幾三さんの『俺ら東京さ行ぐだ』のヒットや、いとうせいこうさん、近田春夫さんによる日本語ラップの登場によって、日本のヒップホップが芽生えたという。そんな中、大学の音楽サークルで出会った宇多丸さんとMummy-Dさんは、「僕ら的な日本人のリアリティを持って、日本語として不自然でなく、なおかつ聞こえも遜色ない。このバランスでやればできるんじゃないか、という考えが一致して。早い話が、ここでグループを組んで今から始めれば、天下が取れる!と思ったんですよね」と、1989年の結成当時の思いを語ってくれた。

しかし、「いざ始めてみたら、これが全く誰にも相手にされないんですよ。驚くほど」と宇多丸さんが言うように、結成当時の活動は決して順調ではなかった。「クラブに行っても、マイク握るんじゃねぇ!って言われたり、ここぞと思ってラップしだすと、日本語はやめてくださいって言われる。冗談抜きにそういう時代」と当時を振り返る。

こうした苦労を経て、1993年にデビュー・アルバム『俺に言わせりゃ』をリリースするが、自分たちの納得できる作品とは言えず、また、音楽雑誌のレビューや、世間からも思うような評価を得ることができなかったという。その後「今のライムスターが確立される最大の要因」と宇多丸さんが評する、DJ JINさんが二代目のDJとして加入。その後にリリースされたセカンド・アルバム『EGOTOPIA』以降、ライムスターは世間から評価を得るようになった。

1994年に『今夜はブギー・バック』(スチャダラパーと小沢健二)『DA.YO.NE』(EAST END×YURI)が大ヒットするまで、日本語ヒップホップに対する世間の評価は、レコード会社や音楽ライターなども含め、決して良いものとは言えなかった。しかし、そんな世間に対する“怒り”や“不満”が、ヒップホップグループたちの活動の原動力になり、徐々に日本にヒップホップシーンが築かれてきた歴史があるのだと、宇多丸さんは言う。

そんな彼らが、学生たちと同じ20歳の頃は、一体どんな事を考えていたのだろうか。

「入学前から、大学は社会に出る為の準備期間だっていう考えがあって、とりあえず音楽関係の仕事に就きたいと思ってました。当時『ブラック・ミュージック・リヴュー』という、ヒップホップやR&Bの専門誌がありまして、何を思ったか、編集部にアポも取らずに飛び込んでいったら、ちょうど人手不足で、運良くバイトとして使ってもらって。当時、ライムスターにはサポートで関わってて、音楽関係の知り合いも広がってたんですけど、DJでやっていけると思っていなくて。何らかの準備をしていた時期でしたね」(DJ JIN)

「ライムスターを始めて2年目くらいかな。まだ全然評価もされてなくて。実は大学に入る前、美大方面に行くか悩んでたんだけど、普通の大学に行きなさいって、親に押し切られてね。だから大学でも居場所がないというか、とにかく何か表現して認められたいんだけど、それがヒップホップかどうかも分かってなかったと思う。わざわざ大学出てからデザイン専門学校にも行って、デザインをやりながら、好きなヒップホップを細々と続けていこう、みたいな考え方だったね」(Mummy-D)

「俺は、ヒップホップとかライムスターがやろうとしてたことが、絶対に日本社会で潜在的に市場があるのになーって、ずっと思ってて、市場を掘り起こしさえすればという確信はあるんだけど、職業としては想像がつかないからね。すこし後になると、ヒップホップやブラックミュージックの音楽ライターみたいな仕事をしてて、それを月に3つくらいやって、細々続ければまあなんとか暮らしていけるだろうって感じでしたね」(宇多丸)

当時、ライムスターにとって成功例といえるアーティストがおらず、自分たちの未来が想像できなかったと言う。しかし、そんな漠然とした気持ちだとしても、好きなことを一所懸命やっている限りは、何かの準備になる。学生時代も将来の仕事の延長みたいなものだとメンバーたちは語ってくれた。

さて、ライムスターにとって、活動のターニングポイントといえる出来事はあったのだろうか。まず、メンバーが挙げたのは、2007年3月から約1年間の活動休止だった。

「やれることはやりきったっていう感じが、俺の中に漂ったね。アーティストとしてもっと上に行くんだったら、いつものサイクルから外れて、お互いにソロプロジェクトとかやって、その風を巻き込むというか、その時期なのかな」と、Mummy-Dさんは当時を振り返る。
また、「活動休止中にソロプロジェクトをやってみると、ライムスターでは解消されなかったアーティストエゴが解消されるってのは勿論あるし、一方で、メンバーとの共同作業でしか生まれ得ないものがあることに気づく。ライムスターでやるべき事と、自分でやる事が、明確に見えるってことが良かったんじゃないですかね」と、宇多丸さんは付け加えた。

さらにもうひとつ。『ウワサの伴奏 -And The Band Played On-』(2002年)という作品が挙げられた。タイトルの通りバンド演奏との共演がテーマなのだが、「それまでは、ほんとにヒップホップの事しか考えてなかったし、自分の事をミュージシャンの一部であるとも思ってなかったの。ただのヒップホップの人、それがかっこいいと思ってた。だけど、ヒップホップ用語しか知らなかった俺たちが、他のミュージシャンとの共通言語をこの頃からちょっとずつ覚えたっていうか。そうして周りからも、この人たちは開いてるんだなって見られるようになって、今のライムスターの活動やコラボレーションの多さ、評価につながってるんじゃないかな」と、Mummy-Dさんが語るように、現在のグループにとって、大きな意味を持つ作品なのだ。

講演のまとめとして、グループとしての「キング・オブ・ステージの美学」とは何か、語ってもらった。

「かれこれ10年以上前から、引退だ、もう引退だって言いながら作品作ってるんですけど、毎回、俺はこれ以上出ねえよっていう瞬間を迎えるわけですよ。勿論、ラップの基本も分かってるし、こうすれば宇多丸の一番おいしい感じが出るってやり方もあるんだけど、売れるかどうか分かんないけど、今の自分の能力より少し上を満たさないと、次の作品作る意味ないって思ってて。美学なんて奇麗なもんじゃなくて、前と同じじゃ自分が楽しめなくなるから、自分のために苦しむって感じですかね」(宇多丸)

「一言でいうなら、活動を流れにおいて決めすぎない。何年後かに俺はこうなってやるって達成していく人もいるだろうけど、ウチらはわりと状況に合わせて柔軟に対応していくタイプ。ライブでも練習はちゃんとやるけれど、やりすぎないように余地を残していく。そういうスタンスかなと思います」(DJ JIN)

「俺はねぇ、ライムスターの美学、キング・オブ・ステージの美学は、サービス精神じゃないかと思ってる。ライブやるにしても、どうしても楽しんでもらわないとって気持ちが強いから、曲順も演出もMCも面白くなきゃだめだなと。今こうして講演会やってても、来てくれたお客さんが喜んでるかすごく気になっちゃうし。そういうトゥーマッチなほどのサービス精神があるからこそ、周りからも常に面白いことやる人たちだなっていう信頼を得られるんだと思う」(Mummy-D)

最後に、たくさんの質疑応答の中から、表現者を目指す学生に向けた、ライムスターさんの答えを紹介したい。

「今、大学で音楽を作ったりして、将来もそういう業界に入りたいと思ってるんですが、周りと比べて卑屈になったり、ジレンマ抱えたりで、今はあまり楽しくない時期が続いているんですけど…。大学で制作している若者に伝えたい言葉とかあったら、ぜひ聞きたいです」(本学ポピュラーカルチャー学部学生)

「音楽を長くやってきて思うんですけど、成長の早さっていうのはね、人によって全然違うんだよね。ミュージシャンって40歳近くになってからブレイクする人も全然いるし。今はちょっとつらい時期なのかも知れないけど、継続して努力を重ねていくことかなぁ。失敗も含めて無駄なことはひとつもないって考えながらやったほうがいいと思う」(Mummy-D)

「あと、周りの人のすごさが分かるって、それ自体が1つの才能だと思うんですよね。自分がまだ出来ていないっていうのが正確に認識できるってのは、その時点で結構なレベルって思いますね」(宇多丸)

今回の講演を聞いて心に強く残ったことは、音楽のジャンル、スタイルにとらわれず、自分たちのやり方をずっと追求してきたライムスターさんの強い姿勢である。クリエイティブな活動をする学生にとっても、心に響く話がたくさんあったであろう。ここでは書ききれないほど、たくさんの話をしてくださったメンバーの皆さんに感謝したい。

ライムスターさんは、2014年後期に公開講座ガーデンにおいて、『ライムスターのヒップホップ講座』を全3回に渡って実施してくれることになった。今まで、日本のヒップホップを聞いたことがないという人にも、この機会にぜひ、“日本語ラップ”に挑戦してもらいたい。

Comment コメントをどうぞ

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

PAGE TOP